Mittwoch, 29. Dezember 2010

 2011 年のみことば 悪に負けてはいけません。
かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい.  ローマ 12: 21
これは今年の選ばれた聖書箇所はです。まず初めにこの美しいカードを見てみましょう。この絵には壁の透き間とか割れ口を見て下さい。それは「悪の裂け目(涙)」が描かれており、これは例えば日々の生活の中で私たちがあまりうまくできない人間関係とか自分の心にある我がままな考え方を象徴していると思います。 
「悪」はどのようにこの世に入り込むのでしょうか。「悪」つまり「サタン」は最初の罪をアダムとエバを言いくるめ、禁断の木の実を食べさせた時に犯しました。その後神様と人間の間に涙が生まれたのです。だからこそ全ての人間は本質的に神様から離れてしまったのです。これについては創世記3章に記されています。そこにはアダムとエバが神様の命令を聞かなかったことが書かれています。神様の命令に背いた事はその後アダムとエバの最初の子どもであるカインとアベルの間の争いへと繋がっていきました。その結果生まれたのが喧嘩、戦争、許せないという心、復讐です。涙の後ろにある煌めく暖かい黄色い光が見えますか。この光は神様、神様の栄光、最大の奇跡、即ちイエス・キリストの復活の象徴です。
今から約2000年前、十字架の上でイエス様はサタン(全てを破壊するもの)に打ち勝ちました。そうです、悪は既に倒されているのです!
この勝利はイエス・キリストにあるのです。光は溝の奥深くから射し、変化に対する希望を与えてくれます。この絵にある薄い赤い橋を見ていますか。これは十字架上のイエス・キリストの私達への深い愛を意味します。あなたは今何を見つめていますか?
深い悲しみ、つまり「悪を悪によって打ち破る」のか、それとも愛のかけ橋、つまり「悪を善によって打ち破る」のか。「悪を善によって打ち破る」こと、これこそが解決策であるとともに私達の今年のスローガンの内容なのです。
パウロは私達に「善によって悪を打ち破る」ことを思い出させたかったのです!しかし残念ながらこの真実は書くのは簡単ですが実際の生活の中で実践することは大変難しいと言わねばなりません。
もし私達が自分の力でこれを実践しようとしたら失敗するでしょう。  悪の涙は今、あなたの生活の中に潜んでいませんか?イエス様にお祈りしましょう。イエス様はあなたが「善によって悪を打ち破る」助けをしてくれるでしょう。ですから私はあなたが迎える新年が成功と神様からの豊かな恵みに満ちた一年になるようお祈りします。
どうか神様があなたを強め、日々お互いを赦しあえるようになりますように。

Freitag, 24. Dezember 2010


クリスマスはパッキングだけが派手になる 日本では形が一番重要です。それは,包装にも表われます。今年もクリスマスの準備がフル稼働しています。なにも足りない物はありません。今年も通り,お店,多くの家も飾りたてられています。お店ではクリスマスの音楽,例えば,「イエス,我々の救い主がお生まれになった・・」が流されていますが,人々の大半,99%ぐらい,はなぜ毎年クリスマスが祝われているかを知りません。私には,中身のない贈り物のように思われます。大切なのは包装が正しいこと,と多くの人々は考えています。けれども,これは大きなまちがいです。なにが祝われているのでしょう?飼い葉桶の子供,汝を祈り,偉大なことをなしとげた神を讃える。」と私が今聴いているクリスマスソングのCDから流れています。そうです。クリスマスの一番大事なことは「飼い葉桶の子ども,イエス・キリスト! 彼なしで祝うということは,包装だけに価値をおくことです。多くのクリスマスの祝いで,そのことを解ってもらうということが私のしたいことです。

Montag, 27. September 2010

牧師の婦人の集い
9月に私は小さな牧師の婦人の会の人々と共に東京のバプテスト教団のジュデイー・フォールドさんをゲストスピーカーに招きました。彼女は,牧師の婦人として,彼女のご主人の側に立って,特に彼女のご主人の祈りを支えることが,彼女の主要な仕事と認識していると述べました。彼女の祈りは次の点を含んでいます。
夫の賢明さについて,夫が毎日神の言葉で生きる,仕事の喜びについては,夫が正しい決断をし,夫が神の栄光で生きていること,健康に関して,祝福された説教に対しては,イエスの為に生き,そして彼の妻を愛するように. ジュデイーとデニスは週末は1400人の人々が6つの違った礼拝にやってくる,という大きいな教会のシニアです。ジュデイーはその体験にかんがみて,目的を持って,誠実に,彼女たちの夫の為に祈るようにと牧師の婦人たちに励ました。牧師の婦人たちが互いに会い,交流することができることはよいことです。このような会合をまた来年も行う予定です。

Montag, 20. September 2010

ドイツからの訪問
昨日,最初のセミナーの最後の授業が行われました。特別の時間でした,というのはドイツからの訪問者があったからです。ホルスト&インゲ・ヴァイペルトさん,彼らはすでに長く日本の宣教活動のために祈っています。インゲはDFMGB(ドイツ婦人宣教同盟)で働いていて,この団体から私は数年間支援されています。この夫妻は最初,どのようにプロテスタント教会(最初は名前だけのクリスチャンとして)の信徒になり,エホバの証人という回り道をして,生きた信者になったかを説明しました。現在は二人とも名誉職のクリスチャンとして世界中の宣教師の祈祷の仕事をアレンジしています。ホルストはまたDeの男性の祈りのサークルを率いています。その後,学生たちがどのようにして仏教の国でイエス・キリストの生きた信者になったか,説明しました。神は我々にどのように神が我々人間を招待するために,どれほど多用な道と可能性をもっているか,彼の多様性を新たにお示しになりました。招待は既に長いことみなにあたえられています,これは問題ではありません。神は彼の側から,すべてを行われました。問題は少数の人間しかイエスの愛に能動的に反応せず,彼の救いを言葉通り信仰としてうけとらないことです。これは,われわれみんなにとってすばらしい時間でした。インゲ,ホルストさん,ありがとう。

Freitag, 23. Juli 2010


旧約聖書全体を3年間でモーゼ書からマラキ書まで,学びました. これはすでに,驚くべき成果です。最後に努力の成果として表彰がありました。
このクラスの重点と目的はなんでしたか?
1. 規則的に聖書を読むことを習慣づけること 
2. その際読むことではなくて,学んだことを日常生活でいかすことが大事でした。それぞれの聖書の言葉でつぎのような質問が答えられました。テキストの内容はなんでしょう?(自分の言葉で短くまとめる),テキストの中で神・イエスキリストについてなにが述べられていますか?テキストは,私になにを語っていますか? 自分の生活,自分の性格のなにを変えるべきでしょう?なんのために目的をもって祈ることができますか?
3. 生徒は授業中に学んだことを発表する機会をもちます。学んだ証明と激励のために15人の参加者の中で5人が全課程を卒業しました。参加者が自分の聖書のクラスをもうけ,習ったことを他の方々に広めてくれたら,それが私の望みであり,この信仰クラスの目的です。

Donnerstag, 15. Juli 2010

教室・ニュース
5月〜6月までに新しい聖書学び会のコースを開始しまた。過ぎ去った6週間では、集中的に創世記〜読み始めました.その学んだ内容はこうです.
第一課は:なぜ、聖書を読むことが重要ですか?
第二課は:なぜ、病気、困難、悲しみ、痛み、死があるのでしょうか?どこからそれは来たのか? (創世記3、1-7を参考)
第三課は:人間の堕落について神様の答えは何ですか? (創世記 3:15 と 21)
第四課は:なぜ人間関係が第一番の問題ですか.
第五課:父アブラハムの生活にも色々な失敗が出てきましたが、アブラハムは自分の失敗を役立たせることを学びました.
第六課:創世記はとくに人間の失敗を書かれた本です.例えば:アダム、カイン、アブラム、エサウ、ヤコブ、イサク。けれども創世記の最後のストーリはイエス様のひな形になるヨセフの例です。ヨセフは救い主、人生の支えです。彼の人生の物語は私たちへの奨励としてのお話になりました.ぜひあなたも読んでみて下さい. 

Montag, 26. April 2010

今日「助けること」は魅力的でなくなったのでしょうか?
昨日の授業は「女性の創造」がテーマでした。創世記2章18節にはこうあります。「その後、神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」
最初,我々は今日の言葉の使用法「助けであることと助ける」という言葉について話し合いました。日本人の生徒たちは私に,今日助けるという言葉は,それほど魅力的でない,と説明しました。彼らは「お互いに助け合う」という考えはどんどん忘れられていると思っていました。本当ですか?

私は,「あなたが自分でできることは,一人で片付ける方がいい。」という言葉,あるいは,「誰かに助けを頼む前に,自分でがんばりなさい。」という言葉がよく知られていることを認めなければなりません。けれども,我々は,聖書の1頁目で,神のはじめの「人」に対する意図は,お互いに助け合い,一緒に生活することであったことを,知っています。「助け手である」と概念は前の文章,「一人っきりであるということは,よくない。」という文章とつながりがあります。この意味で,助け手とは,気持ちよく便利であるからその人の助けを求めるという人ではありません。そうではなくて,助け手は(ここでは婦人ですが)パートナーを本当の意味で感覚的に満たす助けなのです。彼女はお互いに,そして一緒に助けの中にいるのです。我々人間はお互いに,神と一つの共同体になるために創造されました。ところで,聖書の中の「助けである」という概念はいつも大変積極的な価値をもっています。神自身がイスラエル人に「彼らの助け手」として(ヘブライ語のezerは同じ言葉,詩編121参照)自らを表現されています。この意味で「助け手である」という概念は今日の私たちにとってまったく新しい魅力をもちます。今日あなたは家庭で,地域社会で,教会で,どこで助け手になれますか?

美容室にて
日本の美容室では,頭,背中のマッサージさえ受けられることを知っておられますか?信じられない方には,ここに証明書があります。そしてこれらすべては,30ユーロより安いのです。その上に友達に紹介すると20%の割引券もありました。私が忘れないように,次の来店日をお電話でお知らせしましょうか,とまで言ってくれました。そして,もちろん私はボーナス券をもらいました。次の日私はポストに,ゆうこの,私担当の美容師さんの名前ですが,来ていただいてありがとうございました,というかわいいカードを見つけました。これは正真正銘のサービスです。このやさしい行動から我々クリスチャンは我々の教会ででも,さらに多くのことを学べると,思います。

Freitag, 26. März 2010

ヘルガ・タイスとの心のケアセミナー
3月にヘルガ・タイスさんの心のケアのクラスが催されました。タイス宣教師は40年間の伝道師としての彼女が知ったことすべてを伝えてくれました。タイスさんが多くの実例をまじえて,実際の業務が話してくれるので,とても貴重なものでした。テーマは「恨み,怒り,復讐に特徴づけられた生活様式からの解放」でした。いきすぎた反動としての外部からの怒り,あるいは押し込められた抑圧された怒りがあります。ヘルガ・タイスさんは我々がそのような生活様式になる理由を指摘し,それから,もちろん聖書の解決を示しました。これが復讐です。イエス・キリストはゴルゴダの丘で十字架にはりつけられることによって,我々の罪をすべて引き受けられました。この解決の道を受け入れる人は,真実の解放と,感情の癒しを体験します。その他に「14ステップの計画・赦すプロセス」があります・・その中で全ての欲求不満と傷つけられた心がイエスの十字架のはりつけによって解消されるのです。

Montag, 15. März 2010

皆様ようこそ!
聖書を読みと理解することは難しいと思いませんか.特に、旧約聖書。何回も読もうと決めたりすることがあってなのに、続けられませんでした。そうしたら、ここのページがちょうどいいと思います.愛知県にある金山であるクリスチャン‘センターでは、助けを得ることができます。いろいろな聖書を学びクラスがある、あなたにとってどこに参加することができます。一緒にやりましょうか.一度 見学でも良いですよ.私はお待ちしているよ!
      モニカ・ブルッテル