Samstag, 17. Dezember 2011
Freitag, 16. Dezember 2011
Montag, 12. Dezember 2011
Sonntag, 11. Dezember 2011
送別会
今日は浜松ホーリネス教会の送別会がありました。三年間の奉仕でした。最初一回メッセージを伝えるという願いがありましたが、二年半毎月一回午前礼拝メッセージと午後旧約聖書セミナーがありました。私にとってそれは素晴らしい経験でした。主に感謝しています。そして根木さんのお宅で家庭集会を開いたり、初枝さんのお宅でもスモール・グループがあったり、一年二回から三回ぐらいmama-kids-clubにも聖書のお話を伝えることができました。小さな始まりから大きな恵になりました。それはやはり神様の働きです。特に大勢の教会メンバーが聖書を学びたいという意欲を見た時、私に大きな力となってとても嬉しくなりました。分かりやすく旧約聖書を学んだり、楽しく聖書を朗読することができて、皆様と共に大きな励ましになりました。特に旧約聖書にはイエス様の象徴的なひな形が記述されていてる事を皆様は初めて聞いたそうです。そういう優しい教会メンバーに聖書を教えることが私にとって大きな宝物でした。神様と皆様に感謝しています。又再来年お会いすることができるかしら。楽しみにしています。
Mittwoch, 7. Dezember 2011
Montag, 5. Dezember 2011
浜松教会でママ・子供・クリスマス会
子供達はかわいいではないでしょうか。現在クリスマス時期中です。福音を伝えることはとくに新しい方々に一番良いチャンスだと思います。震災の後、子供を育てる不安がいっぱいありますが、参加されたママさん達が特に励まされますように祈っています。教会のメンバーがこの日も良く手伝ってくれて、素敵なクリスマス会になりました。
Montag, 28. November 2011
Freitag, 25. November 2011
Mittwoch, 23. November 2011
Freitag, 7. Oktober 2011
Samstag, 11. Juni 2011
ワッフル-カフェー
ワッフルは大変好まれ,我々がたてた効果を発揮しました。最初みんなに支援物資が
配られ,それから,望む人はコーヒーと
おいしいワッフルと共に話へと進んだの
です。もちろんみんなが残ったはわけでは
ありません,けれども,私は人びとが開放
的で,多くの有益な会話をすることができ
たことに驚いたのです。
チームの一部の人びとは,常にワッフワッフル
は大変好まれ,我々がたてた効果を発揮
しました。最初みんなに支援物資が配ら
れ,それから,望む人は,コーヒーとおいしいワッフルと共に話へと進んだので
す。もちろんみんなが残ったはわけではありません,けれども,私は人びとが開
放的で,多くの有益な会話をすることができたことに驚いたのです。チームの一
部の人びとは,常にワッフルを焼くことに忙しかったですが,他の人びとは同じ
机に座ることができました。私がきいていて恥ずかしかったことは,多くの人び
とがこの非常事態の中,どのようにうまくいくかを自分でじっとみていなければな
らないことです。多くの人びとはまだ一時的な住居に住んでいます。気仙沼の該
当の人びとには,多くの漁民,がいます。
お母さんは私に,すべてを失ってしまった,ことを話しました。家,車,持ち物
を。かれらの夫でまだ失業中の人もいます。一人の女性がやってきて,3人の子
どもの真ん中の1人もうしなったことを告げました。彼女は,最近家を建てたが,
借金しか残らなかったことを告げました。彼女は特にひどい目にあい,ひどい地
震の後,0ではなく,大変なマイナスから始めなければなりません。それで,
「人生は不公平だ」と言っている私たちの一人を理解することができます。該当
者がここで行わなければならないことを想像することができないし,とてもとて
も大変ことです。私は住所を渡しました,連絡をとってくれるといいのですが。
そして,3日目においかさんという一人の男性,漁師なのですが,イエスと共に歩む人生を選びました。彼は3日すべてやってきて,生徒や我々の先生の一人と長い間よい長い話をしました。そして最後の日,彼は彼の人生を神の手に委ねたのです。なんという喜びこれらの日々の聖書の一節は勇気づけるもので適切なものでした。
5月11日 水曜日 主なる神は言われる。「見よ,わたしがききんをこの国にお
くる日が来る,それはパンのききんではない,水にかわくのでもない,主の言葉
を聞くことのききんである。彼らは海から海へさまよい歩き,主の言葉を求め
て,こなたかなたへはせまわる,しかしこれを得ないであろう(アモス
書8章11-12節)
5月12日 木曜 ただ,あなただけ,すべての人の心を知っておられるからです
(列王紀 上8章39章)
(列王紀 上8章39章)
5月13日 金曜 わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも,あなたのみ
てはそのところでわたくしを導き,あなたの右のみてはわたしを支えられます(詩
篇139篇)
てはそのところでわたくしを導き,あなたの右のみてはわたしを支えられます(詩
篇139篇)
思っています:気仙沼教区では,お互いが
助け合い,役にたとうとしています。あな
たがたの祈りに感謝します。またその地の
牧師,姉妹にも感謝します。彼らはこの期
間全て,とてもがんばりました。
遅い夜に,掃除の後,私の寝床,仙台の教
会員に戻り,自炊をしました。その後,疲
れて寝袋に潜り込み,差し迫っている人び
とを助けることができたことに感謝しまし
た。全ての注意が私の生徒にもあてはまり
ます。この出動を模範的に行いました。
とを助けることができたことに感謝しまし
た。全ての注意が私の生徒にもあてはまり
ます。この出動を模範的に行いました。
もっと時間があればもっと多くの報告をブログで公開したいです。けれども,
また,たくさんする仕事があり,いろんなクラスで授業をしなければなりません。
報告が遅くなってしまいました。
また,たくさんする仕事があり,いろんなクラスで授業をしなければなりません。
報告が遅くなってしまいました。
精神的な支援と寄付を感謝します。それは,相変わらず必要であり,支援物資は
これからも必要でしょう。神が貴方と貴方の寛大な援助に祝福を与えられますよ
うに。
これからも必要でしょう。神が貴方と貴方の寛大な援助に祝福を与えられますよ
うに。
ボランティアの活動
神学生と共に行った報告
先週の誠実な祈りに感謝いたします。 とてもうまくゆき,神は我々の出動をとても素晴らしく準備され,祝福されました。一つのチームとしての私たちの神学生にとって,それはとても貴重な時間でした,私にとってももちろんそうですが。
しかしまず,順番にそって
出発の3日前に私は急にとても不安になり,出動が生徒たちにとってどうすれば一番うまくいくか,考えをめぐらせました。その土地に行く前に,落胆した,意気消沈した人びととコンタクトをもつための適当な機会をまだ探していました。どろをきれいにすること,を私はすでに行いました,それは,とてもだいじなことですが,私にはこれが,私の生徒たちにとって本当にいちばんよい課題とは思えなかったのです。あなたがたに先週書いたように,キリスト教徒の仲間の中でワッフルと共に人びとを対話に誘う素晴らしい機会は宣教師との対話にゆだねられました。そしてそれはとてもよい効果を生みました。そして,それはとてもうまくいったのです。毎日15人の生徒は自分で自分にあす課題を決定しました。
・ 最初のチームは支援物資を分配に携わりました。これは,いつでも緊急に必要です。多くの人びとはすべてなくし,すべてを使うことができるのです。私たちは毎日朝5時に起きて,一日を神への賛美と祝福で始めました。そのあと朝食が来て,そのあと,おのおの自分で昼食を準備しました。それは,とてもかんたんにできます: おなかのすき具合に応じた2-3個のおにぎりです。その後,7時30分ごろ,私たちは1時間半をかけて車で支援物資を十分用意するために仙台郊外の倉庫にゆきました。それから,だいたい2-3時間さらに車でゆくと,一番被害の大きな地域,につきます,ほぼ完全に破壊された石巻,松島,気仙沼の3つの場所です。支援物資は集積場所でほどかれ,あらゆる方向から人びとは集まり,与えられたものすべてに喜びます。そのことに,私はとてもはずかったです。買い物にゆき,棚の前で時々長い時間立ち,多くの選択肢の中で,どれを買うべきかわからないことがあります。そして,ここで要求もなく感謝をして彼らが得られるすべてのものをつかむのです。
・ 2番目のチーム, 男性の生徒は毎日どろを取り除くためにでかけました。相変わらず,その中で住み続けるためには,津波によってかぶったどろを取り除かなければならない多くの家があります。家の中で何らかの修理がされる前に,これがどちらにせよ一番されなければならない課題です。そのために緊急にボランテイアがひつよです,というのも,該当者はほとんどの人が身体的にも,精神的にも,この仕事を行うことが難しいからです。多くの生徒はとてもよく働いたので,みんなが感謝されました。これは,よい証明です: キリスト教徒はどんな仕事でもいやがらず,彼らの誠実な良心的な仕事は模範です。彼らは本当に男性の強さを証明し,お互いに叱咤激励し,最後の日まで誠実に戦い,勇敢に仕事をしました。
・ そして,3つめのチームがありました。それは,毎日3時間かけて,気仙沼のバプチスト教会まで行き,そこでワッフルをやくチームです。私の仕事はこのチームを指揮することです。そして私たちも朝早く倉庫を通り,私たちの車に多くの支援物資をいっぱい積みました。時々シャワー石けん,トイレットペーパー,マーマレードのようなものを私たちのゲストに特別の喜びを与えるために,途中で買いました。そこへ行く途中の湾に沿っての荒廃した場所の身の毛もよだつような光景を私は忘れることはできません。荒廃した景色はただ気味が悪く,ぞっとするものでした。ようやくだいたい12時にその場所に着いたら,すぐにすべて荷ほどきし,支援物資を広げ,粉とコーヒーを準備しなければなりませんでした。というのも,最初のゲストがすでに待っていたからです。
聖書グループは津波でその建物を失い,姉妹は今グループの長老の家で集っています。隣の部屋,印刷部屋をこの聖書グループは新しい場所にするでしよう。そこで,ワッフルプロジェクトが行われたのです。
Donnerstag, 21. April 2011
泥との戦いが続きました
スコットランドキャラメルと牛乳を飲んで少し休んだ後、泥との戦いが続きました。その間もおばあさんは何かを探しているように始終動き回っていました。その後、彼女がとても敬虔にそこに座っているのを見ました。彼女がなにを見つけたか知るために彼女のところにゆきました。彼女が仏像を手に持ち、こわれてしまった部分を探しているのを見て、目を疑いました。私が彼女がなにを持っているのか知りたがったので、彼女はこれは、貴重な中国の神であることを説明しました。そこからそう離れていないところで私は暗赤色の茶色の箱、言い換えるとその神に付属する祭壇を見つけました。私はクリスチャンなので、彼女の捜し物にもちろん混乱し、失望しました。しかしこれは日本に根付いていて、日本に来てから20年になりますが、いつも同じ障害にぶちあたるのです。80%以上の日本人は、仏教徒あるいは神道信者で、いうなれば自分たちの神をもち、その神を崇拝し、彼の亡くなった家族も家の骨壺に住んでいると考えるのです。
今やっと私はもう一度、どうしてこの人々が家を離れることができないで、まったく泥に埋まり汚れた家を離れることができないか、がわかりました。いろんなことがあっても、どのような運命とデモーニッシュな強い内部の結びつきがこの日本人たちを自分たちの家に結びつけているのか、ようやく私にもわかってきました。しかし、彼らはどこへゆけばいいでしょう。多くの被災民に十分な土地はありません。
17時頃仕事がおわりました。家の大部分のどろははがされました。床に白い粉末がまかれ、殺菌されました。そしてすべてもう一度数週間かわかし、修復作業が始まります。家々を立て直す建具屋が必要です。近い将来そんな職人が現れるかどうか、婦人にはわかりません。
私たちの男性のヘルパーは今日はすでに去ったので、私たち女性3人は、また話し始め、最後に私は、なにか祈りましょうか、と聞きました。私は今度は涙ながらに沈んだ心でお祈りをしました、というのは今日見たこのような惨めな状況にふさわしい言葉が私自身にもみつからなかったからです。人々を本当に慰めるために、私は二人の婦人と彼女の親戚に聖書の生きた神の保護と慰めを求めました。別れるとき、私たちは涙を流しながら腕をあわせました。彼らだけにしておくことは、つらかったです。彼らは寒い夜、彼らだけで、この荒廃した地域ですごすでしょう。これはなぞです。私なら絶対に逃げるでしょう。だんだん暗くなってきました。ほかのヘルパーさんは自分たちのところに戻らなければなりません。二日目の悲しい日が終わりました。
泥との戦い
午後は近隣の家の津波が運んだ泥を排除することを手伝いました。ヘルパーは家の下の部分に降りて、手で粘土の泥の固まりをプラスチックのバケツに入れていました。私はそれから、このバケツを外に持ってゆきました。いやなにおいが今も鼻に残っています。この労多い仕事を合計5人で残りの午後行いました。しかし私たちは今日少なくても一家族を救いました。とっても少ないですが、でも少しは。
バケツを外に出しているとき、惨めな光景が目に入りました。家の周りもすべてががらくたとゴミでした。ここに85歳の母が娘と息子と住んでいます。彼女は彼女の救出がどんなにドラマチックなものだったかを説明しました。最初の地震で娘はすぐに10分離れた仕事場から母を救い出すために家にすばやく家にもどってきました。彼女はすでに水がどんどんあがってくるのを見ました、運の悪いことに彼女の家は川と海の間にあったので、両方からの津波の危険がありました。すべてが大変すばやくなされなければなりませんでした。彼女は母をさっとつかみ、出発しました。運良く安全な方向でした。それはあたりまえのことではありません。どこにゆくのが今一番いいでしょう、どこが安全でしょう?津波はどのぐらいの高さになるでしょう?時間がありません、命をかけて走ります。水はすでにくるぶしのところにきていました。とお婆案はまだ震えた声で語りました。それから、彼らは左に曲がり、高台に上りました。これが彼らを津波から守るための正しい反応でした。二人とも、現在さしせまったみじめな大変な状況にあっても、命が守られたことに感謝しています。
私たちの男性のヘルパーは今日はすでに去ったので、私たち女性3人は、また話し始め、最後に私は、なにか祈りましょうか、と聞きました。涙ながらに、私は今度は思い心でお祈りをしました、というのは今日見たこのような惨めな状況にふさわしい言葉が私自身にもみつからなかったからです。人々を本当に慰めるために、私は二人の婦人と彼女の親戚に聖書の生きた神の保護と慰めを求めました。別れるとき、私たちは泣きながら腕をあわせました。彼らだけにしておくことは、つらかったです。彼らは寒い夜、彼らだけで、この荒廃した地域で素超すでしょう。これはなぞです。
今度は、松島へ向かいました
木曜日、7時30分、また倉庫に行って、援助物資を探し、車に積み込みました。人々は、なにを一番求めているのだろう、 また、人々がなにを一番必要としているか、を考えていろんな品物を積みました。
その後、今度は、松島へ向かいました。この町は松島湾にあり、宮城県の観光の中心です。260本の松が植えられた島で、仙台の22km北東にあります。天橋立と宮島と並んで、日本の3大名所で、その海岸と該当する観光の城塞近くの歴史の名所、とインターネットにはのっています。チームリーダーが知っている高橋さんという方が所有される家のすぐ前を走りました。今日私たちボランテイアは彼の家の掃除を手伝う、ことになっています。1階はぬかるみの中にあります。彼の仕事場も掃除されなければなりません。すべてのものを彼の庭に運びました、本、家具、ランプ、絵、すべてが泥まみれで、つかうことができません。高橋さんは、私に絵、磁気の花瓶、ほかのものをホースで洗って、庭で、乾かしてくれ、と頼みました。私は、彼の気持ちをくんで、彼の言われることに素直に従い、この泥まみれの物品すべてを丁寧に扱う努力をしました。しかし、内心、もし私が彼の立場なら、すべてを堆肥に捨てるだろう、と思いました。たぶん、彼は、この物品に多くの思い出をもち、これらすべてと別れるのがつらいのだろう、と思います。へんなにおいします。今日、天気がよかったので、すべてを外で行うことができて、運がよかったです。彼の庭は、けれども泥だらけの畑のようです。そして、なんども12年前に建て、妻が5年前になくなった彼の家周辺の見晴らしは、私を不幸な気持ちにします。彼は、避難所に耐えきれず、自宅に帰ってくる決心をしました。多くの近所の家はその当時、空で、彼と2−3の人々が、このがれきの山で耐えることを決意しました。そのとき、私は、自問自答していました、人は多くいるが、あたたかく、乾いている体育館と、このみじめな場所にいるのと、どちらが、自分にとってはいいだろう、と。自分にとっては、体育館の方が、いいだろう、と。彼の家の2階は、ここでトイレが使えたのですが、彼の住居が上品にしつらえてあったので、私には、彼が几帳面な人だ、ということがわかりました。だから、彼がここに住みたいという気持ちは不思議ではありません。しかし、私には、泥におおわれた庭、とそれに伴う衛生学上のバクテリアの汚染のある状況はもっと危険だと思います。高橋さんは、私たちが、その後、庭で昼食をすることを望みました。私たちは、もちろん自分たちのおにぎりとサンドウィッチをもってきたり、途中のコンビニでかっていました。高橋さんは、私たちと一緒に食事をしたくありませんでした。彼は2階で食事をしたいと言われました。その後、我々にインスタントコーヒーを彼の貴重な磁気のコーヒー茶碗で(彼のコレクション、と彼は言われました)サービスしてくれました。
Mittwoch, 20. April 2011
続き: 震災地でのボランテイア 5週間
このどうしようもない環境で苦悩と窮乏と孤独の中で生きている人々と別れるのは、私には簡単ではありません。
宮城へのボランテイア
4月19日木曜日、私は夜行バスに乗って仙台にゆきました。目的地YMCAについてから、私はすぐに自家用車で激震地、石巻に向かいました。道中、私たちは大きな資材倉庫に通りかかり、我々のバスに水、野菜、インスタントラーメン、米、スープ、そして男性用、女性用、子供用、赤ちゃん用、のあらゆる種類の衣服、子供の本、トイレットペーパー、ハンカチなどの日用品の生活物資、で満たされた木箱をバスいっぱいに積み込み、地震によって大変傷んだガタゴトの道を物資を必要としている日本の人々に届けるために、石巻までゆきました。
今回は避難所に行きません、というのも、そこにいる人々はそのころ、規則的に食糧や日々の生活物資を供給されていたのに対し、自宅で過ごし、買い物ができない人々もたくさんいたからです。それは、その土地の店はつぶれていたからです。
最初の目的地で、その光景をみて驚愕しました。言葉がみつからないので、写真に語ってもらうことにします。その周りすべてのものが、ゴミとがらくた、津波が押し流し、すべてが汚れてしまいました。戦争の後のような、残忍な光景です。
なんという荒廃、想像を絶します。
最初の目的地に着き、ドアのベルを鳴らすと、すぐに最初の人々が私たちのバスにやってきて、私たちがなにを持ってきたのかを見にきました。彼らはその物資を感謝して受け取りました。けれどもはじめは、悲しげな心配そうな顔でした。私たちが風船とお菓子を子供たちに分けていたら、彼らの顔に笑みが戻ってきました。何人かの人々が品物を家に運ぶのを手伝っていたとき、なんと彼らの家がみすぼらしく、 貧弱になったかに気づきました。彼らは津波を生き延びましたが、それでも家財は傷み、家の周辺は壊れていました。
それから、さらに2カ所を回り、同じようなことを繰り返しました。人々は、はじめは控えめに、逡巡し、不安そうながら与えられたものへの喜びました、私はこの言葉を思い出しました、受け取るより、 あたえる方が、至福である。
Sonntag, 17. April 2011
ハレルヤ。感謝します。
黙示録 1:17 それで私(ヨハネ)は、この方(キリスト)を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、 1:18 生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。
最近皆様から素敵なお手紙やプレゼントを頂、心から感謝いたします。今週は受難週ですが、イエス様の十字架のみ業を覚える、救いの恵をもう一度思い込む感謝を持ってイエス様のみ名を賛美いたしましょう。私は明日一週間(4月19日〜26日)仙台に参り、少しでも手伝いたいです。お祈りありがとうございました。帰ったら又連絡します。主の豊かな祝福が皆様の上にありますように祈っています。
Donnerstag, 31. März 2011
Freitag, 11. März 2011
一年間ヤコブの手紙に取り組みました
この二人の学生は一年間ヤコブの手紙に取り組みました。ヤコブの手紙は,また,新約聖書の「箴言」と呼ばれています,というのもキリスト教のモラルを取り扱っているからです。多くの比喩とシンボルがこの手紙の中に認められます。手紙は我々を考えさせます。
次のテーマが前面にあります:
1.信仰が試される
2.信仰が疑いに勝利する
3.信仰は行い・我々の生活で示される
4.信仰は働きなくては死ぬ
5.信仰と舌の支配
6.信仰と祈り
それは我々双方にとって,美しい時間でした。そして,今講義が終わると,私は,どんなに私に好意が寄せられているか,に気づきます。
Donnerstag, 10. März 2011
誰でも聖書学び会

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