木曜日、7時30分、また倉庫に行って、援助物資を探し、車に積み込みました。人々は、なにを一番求めているのだろう、 また、人々がなにを一番必要としているか、を考えていろんな品物を積みました。
その後、今度は、松島へ向かいました。この町は松島湾にあり、宮城県の観光の中心です。260本の松が植えられた島で、仙台の22km北東にあります。天橋立と宮島と並んで、日本の3大名所で、その海岸と該当する観光の城塞近くの歴史の名所、とインターネットにはのっています。チームリーダーが知っている高橋さんという方が所有される家のすぐ前を走りました。今日私たちボランテイアは彼の家の掃除を手伝う、ことになっています。1階はぬかるみの中にあります。彼の仕事場も掃除されなければなりません。すべてのものを彼の庭に運びました、本、家具、ランプ、絵、すべてが泥まみれで、つかうことができません。高橋さんは、私に絵、磁気の花瓶、ほかのものをホースで洗って、庭で、乾かしてくれ、と頼みました。私は、彼の気持ちをくんで、彼の言われることに素直に従い、この泥まみれの物品すべてを丁寧に扱う努力をしました。しかし、内心、もし私が彼の立場なら、すべてを堆肥に捨てるだろう、と思いました。たぶん、彼は、この物品に多くの思い出をもち、これらすべてと別れるのがつらいのだろう、と思います。へんなにおいします。今日、天気がよかったので、すべてを外で行うことができて、運がよかったです。彼の庭は、けれども泥だらけの畑のようです。そして、なんども12年前に建て、妻が5年前になくなった彼の家周辺の見晴らしは、私を不幸な気持ちにします。彼は、避難所に耐えきれず、自宅に帰ってくる決心をしました。多くの近所の家はその当時、空で、彼と2−3の人々が、このがれきの山で耐えることを決意しました。そのとき、私は、自問自答していました、人は多くいるが、あたたかく、乾いている体育館と、このみじめな場所にいるのと、どちらが、自分にとってはいいだろう、と。自分にとっては、体育館の方が、いいだろう、と。彼の家の2階は、ここでトイレが使えたのですが、彼の住居が上品にしつらえてあったので、私には、彼が几帳面な人だ、ということがわかりました。だから、彼がここに住みたいという気持ちは不思議ではありません。しかし、私には、泥におおわれた庭、とそれに伴う衛生学上のバクテリアの汚染のある状況はもっと危険だと思います。高橋さんは、私たちが、その後、庭で昼食をすることを望みました。私たちは、もちろん自分たちのおにぎりとサンドウィッチをもってきたり、途中のコンビニでかっていました。高橋さんは、私たちと一緒に食事をしたくありませんでした。彼は2階で食事をしたいと言われました。その後、我々にインスタントコーヒーを彼の貴重な磁気のコーヒー茶碗で(彼のコレクション、と彼は言われました)サービスしてくれました。


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